2006年07月13日
亜細亜大学経済学部聴講・「文化人類学 I A」13 関係による文化の理解(構造主義人類学)

家の窓ガラスの外側に現れたヤモリ。例年より太っている。
ガラスの面に集まる小さな虫を捉える姿が面白い。
午後から家を出て吉祥寺駅に向かう。武蔵境駅北口に降りるといつものようにスキップ通りから亜細亜大学通りにでて南側の歩道を亜細亜大学に向かって歩いた。愛用のデジタルカメラ DiMAGE X50 を家に忘れてきていたので写真撮影はできない。
亜細亜大学南門を入って2号館に向かう。237教室にはまだ学生が1人だけしかいない。いつもの席に座って「多文化主義とは何か」アンドリア・センプリーニ・三浦信孝/長谷川秀樹・文庫クセジュ・白水社を読む。

家のベランダでシクラメンの花を見る。家にきて6年目である。
7月に入ってもまだ蕾みをつけているのは今年が初めてである。
しばらくして鈴木一馨先生が現れ、いつものとおり「こんにちは」と挨拶を交わし、すぐ出欠カードと資料のプリントを2人の学生と1人の受講生に自ら配り黒板に文字を書き講義を始めた。
教室をでるとまっすぐに南門に向かう。南門をでるとそのまま亜細亜大学通りを向こうに渡っていつものように武蔵境駅北口を目指した。
歩きながら空間からさまざまなイメージが湧きだしてきて独りでに展開していくのを感じ、しばらくその展開の行方に身を任せて歩き続ける。
現在の日本の政界の人々の動きを見ていて何か物足りない感じがあったが、そのほとんどは成人通過儀礼を通過していない人々だったとすると得心がいく。
日本の船の名前には圧倒的に何々丸という名前がついている。船の名前に丸という文字がついていないのは軍艦だけであるが理由はわからない。 船と艦 とは違うからだと思われる。
日本の船は巨大な商船や客船も何々丸といい男の子供の名前になっている。このことから浮かんでくる想いは次の世代を担う大事な子供に夢を託している日本人の姿である。このときこの夢を託されている子供はもちろん、成人通過儀礼を超えていく元気な子供を想像していることに間違いはない。
日本の国会を、日本人が将来の夢の実現の望みを託している国会丸という船に喩えると、残念ながら乗り合わせている国会議員達は紛れもない子供たちであり決して大人ではない。成人通過儀礼を超えてきた真の大人たちと認めることはその振る舞いから決してできないのである。
日本の官僚達も既に子供たちに依って動かされているとすれば、どのような事故が常に起こり得るかは明らかである。物を知らない子供達の無責任な行動と思慮に欠けた行動と無知ゆえの無慈悲さによる自滅である。子供たちはもちろん責任を持って思慮深く慈悲深いと恐ろしいほどの錯覚に陥っているからこの子供劇に終わりはない。
ことは国会丸で決まっているわけではないから子供たちの乗り合い船が座礁しようが沈没しようがことの進展にはほとんど関係がない。つまり国会丸で子役達によって上演されている出し物は、これも子供の見物客に大いに喜ばれているだけなのである。ここまでくると、大人は舞台裏でせっせと脚本を書いているということが見えてきても不思議ではない。
このあたりまで思念が渦を巻いた処で目を上げると、いつもの道を武蔵境駅北口に向かって歩いていた。

家の花壇。今時花はない。梅雨の雨で緑の葉が伸びるのは楽しい。
いろいろな植物が一緒に生命の輝きを謳歌するのがいい。
武蔵境駅北口から電車に乗ると吉祥寺駅で降り、東口に出て右折し高架線に沿っていつものとおり帰路についた。今日も何事もなく無事に散歩を終えられたことを、東の空に向かって感謝する。
つづく。
since 2004.12.18

家のベランダでシクラメンの花を見る。家にきて6年目である。
7月に入ってもまだ蕾みをつけているのは今年が初めてである。
しばらくして鈴木一馨先生が現れ、いつものとおり「こんにちは」と挨拶を交わし、すぐ出欠カードと資料のプリントを2人の学生と1人の受講生に自ら配り黒板に文字を書き講義を始めた。
7.関係による文化の理解(構造主義人類学)
1.「構造主義人類学」とはなにか
2.物事の関係の捉え方
3.再び「ひと」について
プリント:関係による文化の理解(構造主義人類学)
「文化人類学 I A 」資料13
:再び「ひと」について
「文化人類学 I A 」資料14
キーワード前期の講義は今日でで終わり補講はなく試験に入ることになる。鈴木一馨先生に出席表を提出しながら”日本の船に「何々丸」という名称が多いのは何を象徴しているのでしょうか?”と質問した。”丸は男の子で、大人は麻呂といいます”といわれた。”丸は山の名前にも付けられていますが何を象徴しているのでしょうか?”との質問には、”山頂が丸いとか、何々丸さんに関係があったとかではないでしょうか”といわれた。
・構造主義人類学 文化人類学の分析方法の一つ
文化現象や社会を構成する要素の相互関係を
解明かすことを通して、その文化現象の社会
における役割を明らかにする方法
・構成要素 文化や社会の構成要素は、それを持つ社会により意
識的に分類されている
・相互関係 構造 #図化して相互関係を見ていく
#認識することは分類することである
自分と他人とを区別することがその第一
空間的に把握することができる
・空間的 時間を含めた空間:時空間
・時空間 時空間の問題は空間に表すことができる
・時間 空間に置換えることができる
・物事の関係 物事の性質による関係(捉え方)
物事の性質 実際の性質ではなく仮託した性質(比喩)
生物・無生物
人的・非人的(社会内・社会外)
性別 男性 女性 中性
明暗 快活 陰惨
聖俗 清浄 汚濁
日常・非日常
空間的位置による(捉え方)「空間的関係」
平面関係
立体関係
時間的関係
・比喩 象徴表現
船魂(ふなだま) 女性 船の名前は男性名 #丸
台風名 女性名 ヒステリー
静けさ ある程度の雑音のある静けさ
無温室では落ち着かない:頭蓋骨で自分の声
と自然の反響を立体的に聞いているのが日常
左右 比喩である
世界的に右が正常 左が異端 左党:酒飲み
並列空間 同時並行的 同一時間的空間
直列空間 連結的 個別時間的空間
前後 前:進展 #以前:後方
後:衰退 #以後:先方
・ひと 社会の中心的な構成要素(自立した存在)
・成人通過儀礼 ひと:一人前:社会の構成員として機能する者
・成人 本来子どもは「ひと」ではない
社会の中心的な構成要素ではない
・ひと 「ヒト(子ども)」が「ひと(大人)」になるため
には必ず成人通過儀礼を済ませなければならない
・通過儀礼 済ませた者は「ひと」として扱われる
元服 男性 奈良・平安時代から江戸時代まで
着袴 女性
バンジージャンプ バヌアツやパプアニューギニア 痛みの克服
割礼 ユダヤ人 イスラム教圏など 痛みの克服
・成人式 日本の成人式は成人通過儀礼にならない
・フリーター 職業として認めてしまったのはひどい間違い
ニートが増えている
・子供 日本では子供が社会を動かし始めている
ホリエモンは子供である
#永田議員・偽メール問題:子供か
#小泉チルドレン :子供か
#江戸末期の若者たちとは異質である
#若者は成人儀礼を通過している
日本は既に子供によって動かされている
役人は既に子供である
・離職率 3年:35.0% 30%を超えている 亜細亜大
1年:13.5% 亜細亜大
離職理由:自分に合わない(我慢出来ない)
教室をでるとまっすぐに南門に向かう。南門をでるとそのまま亜細亜大学通りを向こうに渡っていつものように武蔵境駅北口を目指した。
歩きながら空間からさまざまなイメージが湧きだしてきて独りでに展開していくのを感じ、しばらくその展開の行方に身を任せて歩き続ける。
現在の日本の政界の人々の動きを見ていて何か物足りない感じがあったが、そのほとんどは成人通過儀礼を通過していない人々だったとすると得心がいく。
日本の船の名前には圧倒的に何々丸という名前がついている。船の名前に丸という文字がついていないのは軍艦だけであるが理由はわからない。 船と艦 とは違うからだと思われる。
日本の船は巨大な商船や客船も何々丸といい男の子供の名前になっている。このことから浮かんでくる想いは次の世代を担う大事な子供に夢を託している日本人の姿である。このときこの夢を託されている子供はもちろん、成人通過儀礼を超えていく元気な子供を想像していることに間違いはない。
日本の国会を、日本人が将来の夢の実現の望みを託している国会丸という船に喩えると、残念ながら乗り合わせている国会議員達は紛れもない子供たちであり決して大人ではない。成人通過儀礼を超えてきた真の大人たちと認めることはその振る舞いから決してできないのである。
日本の官僚達も既に子供たちに依って動かされているとすれば、どのような事故が常に起こり得るかは明らかである。物を知らない子供達の無責任な行動と思慮に欠けた行動と無知ゆえの無慈悲さによる自滅である。子供たちはもちろん責任を持って思慮深く慈悲深いと恐ろしいほどの錯覚に陥っているからこの子供劇に終わりはない。
ことは国会丸で決まっているわけではないから子供たちの乗り合い船が座礁しようが沈没しようがことの進展にはほとんど関係がない。つまり国会丸で子役達によって上演されている出し物は、これも子供の見物客に大いに喜ばれているだけなのである。ここまでくると、大人は舞台裏でせっせと脚本を書いているということが見えてきても不思議ではない。
このあたりまで思念が渦を巻いた処で目を上げると、いつもの道を武蔵境駅北口に向かって歩いていた。

家の花壇。今時花はない。梅雨の雨で緑の葉が伸びるのは楽しい。
いろいろな植物が一緒に生命の輝きを謳歌するのがいい。
武蔵境駅北口から電車に乗ると吉祥寺駅で降り、東口に出て右折し高架線に沿っていつものとおり帰路についた。今日も何事もなく無事に散歩を終えられたことを、東の空に向かって感謝する。
つづく。
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2004.12.18 ~ 2006.09.30
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「文化人類学 II A」02「陰陽」の宇宙論
「文化人類学 II A」01「風水」と「気」の原理
亜細亜大学経済学部聴講・「文化人類学 I A」12 はたらきで見る文化現象(機能主義人類学)
亜細亜大学経済学部聴講・「文化人類学 I A」11 象徴による文化の理解(象徴論)
亜細亜大学経済学部聴講・「文化人類学 I A」10 異文化受容と翻訳(翻訳論)
亜細亜大学経済学部聴講・「文化人類学 I A」09 異文化の定着(文化変容論)
「文化人類学 II A」01「風水」と「気」の原理
亜細亜大学経済学部聴講・「文化人類学 I A」12 はたらきで見る文化現象(機能主義人類学)
亜細亜大学経済学部聴講・「文化人類学 I A」11 象徴による文化の理解(象徴論)
亜細亜大学経済学部聴講・「文化人類学 I A」10 異文化受容と翻訳(翻訳論)
亜細亜大学経済学部聴講・「文化人類学 I A」09 異文化の定着(文化変容論)
Posted by koji at 22:50│Comments(2)
│亜細亜大学
この記事へのコメント
>世界的に右が正常 左が異端 左党:酒飲み
日本の朝廷では左大臣が右大臣よりも地位が高いのですが、これは世界的に珍しいようです。詳細については知りません。
日本の朝廷では左大臣が右大臣よりも地位が高いのですが、これは世界的に珍しいようです。詳細については知りません。
Posted by ゲスト at 2006年07月25日 22:06
情報ありがとうございました。調べてみるといろいろと面白いことがわかりました。天皇と臣下では左右が逆に見えていること、文字の縦書きでは右から左に書くということ、この2つがあやとなってさまざまな表現が繰り広げられていると考えられます。
この 「左大臣の方が位が上なのはなぜ?」というページ が面白いです。
この 「左大臣の方が位が上なのはなぜ?」というページ が面白いです。
Posted by koji at 2006年07月28日 23:17
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